HISTORY
鉄道史と時刻表
100年の歩み
優等列車の全盛期や白紙大改正など当時の記憶がよみがえる…!
時刻表復刻版も好評発売中!
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世の中の流れ
『JTB時刻表』の変遷
1872年
- 10月、新橋~横浜間に鉄道開業
- 12月から太陽歴を採用し、「明治6年1月1日となる」
1872年 明治5年
品川~横浜間の仮開業に先立ち、駅構内に時刻表の元祖となる「鉄道列車出発時刻及賃金表」が掲出される
1891年 明治24年
上野~青森間全通(直通1往復、下り所要約26時間25分)
1894年 明治27年
月刊時刻表のはじまりとなる「汽車汽船旅行案内」創刊(庚寅新誌社)
1914年 大正3年
東京駅開業、東海道本線の起点となる
1925年 大正14年
日本旅行文化協会が鉄道省運輸局編纂「汽車時間表4月号」を創刊
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1925年 大正14年
日本旅行文化協会が鉄道省運輸局編纂「汽車時間表4月号」を創刊
JTBの前身である日本旅行文化協会が1925年に「汽車時間表」を発行。これがJTB時刻表の創刊号にあたるもので、現役で発行が続く時刻表としては日本最古となります。
それまで世の中には民間が発行する「公認汽車汽船旅行案内」(漢数字で表記)という時刻表が存在していましたが、駅で鉄道省業務用の「列車時刻表」を利用した人たちから市販化のリクエストも多く、日本旅行文化協会が一般向けに販売したのが始まりです。業務用の時から用いられていた算用数字の採用はもちろん、弁当販売駅・赤帽所在駅などを示す記号を導入するなど、当時としては画期的な誌面の時刻表でした。
それまで世の中には民間が発行する「公認汽車汽船旅行案内」(漢数字で表記)という時刻表が存在していましたが、駅で鉄道省業務用の「列車時刻表」を利用した人たちから市販化のリクエストも多く、日本旅行文化協会が一般向けに販売したのが始まりです。業務用の時から用いられていた算用数字の採用はもちろん、弁当販売駅・赤帽所在駅などを示す記号を導入するなど、当時としては画期的な誌面の時刻表でした。
「汽車時間表」1925年4月号の表紙
創刊した4月は、東京の山手線がまだ環状になる前だった
赤帽・公衆電報・洗面所・駅弁の取扱い駅を記号で示していた
1930年 昭和5年
東京~神戸間で超特急「燕」が運転開始(所要9時間)
1941年 昭和16年
太平洋戦争はじまる
1942年 昭和17年
- 鉄道省が24時制を導入
- 関門トンネルに旅客列車運転開始
1942年 昭和17年
11月号より24時制表記に変更
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1942年 昭和17年
11月号から24時制表記に変更
鉄道開通70年のこの年、鉄道省が業務上使用する時刻の呼称方法を24時間制に制定したことをきっかけに、それまで12時間制で、午前は細字・午後は太字で記載されていた鉄道省編纂「時刻表」(この号から「時刻表」と改題)も11月号から24時間表記に切り替えられました。
1942年11月号の表紙
1944年 昭和19年
特急列車全廃、急行列車大幅削減
1945年 昭和20年
- 東京大空襲
- 8月、広島・長崎原爆、終戦
1945年 昭和20年
戦争の激化により、1枚ものの時刻表に
9月、日本交通公社発行で戦後の復刊1号を発行
9月、日本交通公社発行で戦後の復刊1号を発行
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1945年 昭和20年
戦争の激化により、1枚ものの時刻表に
用紙配給統制の強化や印刷所の被災、1944年には特急の全廃、急行の大幅削減もあって、前年11月まで続いた月刊が困難となり、1944年は全国版としては年5回の発行と半減してしまいました。1945年7月、終戦前最後に発行されたのは1枚ものの折りたたみ時刻表でした。
1945年8月に終戦を迎えると、9月に復刊第一号を発行します。印刷用紙の慢性的な不足状態が続き、新聞以外の出版物の用紙調達は困難ななか、国鉄や社の業務用のみではなく、社会的に必要な出版物として、時刻表は特別な扱いだったと言えます。10月には戦時中からの国鉄乗車券の統制発売が解かれました。
1945年8月に終戦を迎えると、9月に復刊第一号を発行します。印刷用紙の慢性的な不足状態が続き、新聞以外の出版物の用紙調達は困難ななか、国鉄や社の業務用のみではなく、社会的に必要な出版物として、時刻表は特別な扱いだったと言えます。10月には戦時中からの国鉄乗車券の統制発売が解かれました。
1945年7月に発行された、1枚ものの時刻表
1945年9月に発行された復刊1号(日本交通公社発行)
1947年 昭和22年
6月号より全国版が毎月発行となる(主要駅のみ掲載)
1949年 昭和24年
- 日本国鉄道発足
- 特急に食堂車復活、東京~大阪間に特急「平和」運転開始(所要約9時間)
1955年 昭和30年
周遊券が発売
東海道本線の東京〜米原間の電化が完成した1955年8月号
1956年 昭和31年
- 「もはや戦後ではない」が流行語に
- 東海道本線全線電化
- 東京~博多間に寝台特急「あさかぜ」登場(所要約17時間30分)
1957年1月号に掲載された寝台特急「あさかぜ」の記事
1958年 昭和33年
東京~大阪・神戸間に電車特急「こだま」登場(所要約6時間50分)
1963年 昭和38年
8月号より表紙がカラー写真になる
1963年8月号の表紙は、試運転中の新幹線
1964年 昭和39年
- 東京~新大阪間に東海道新幹線開業(所要約4時間)
- 東京オリンピック開催
1964年 昭和39年
10月号より1年間、0系新幹線が表紙を飾る
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1964年 昭和39年
10月号より1年間、0系新幹線が表紙を飾る
東京オリンピック開会式のわずか9日前、10月1日に東海道新幹線が開業。10月号の巻頭では、「夢の超特急のすべて」として、当時フランスがもつ世界記録時速160mを着工4年にして破った新幹線を特集。“翼のないジェット機”が熱海・富士川の鉄橋・京都を超えて走行する写真を掲載していました。開業直後、超特急ひかり号は東京-新大阪を1日14往復、所要時間は4時間でした。
10月号から1年間、0系が富士山や浜名湖、名古屋城などの沿線を走る風景が表紙を飾り続けました。
10月号から1年間、0系が富士山や浜名湖、名古屋城などの沿線を走る風景が表紙を飾り続けました。
1964年10月号の表紙
有楽町や根府川付近を通過する新幹線のグラビア
開業直後の新幹線の運賃表
1967年 昭和42年
世界初の寝台座席兼用電車「月光/みどり」登場
1969年 昭和44年
運賃改定により1・2等級制廃止で1等車→グリーン車、2等車→普通車となる
1969年 昭和44年
運賃改定の国会審議がずれ込み、5月号は旧運賃版と新運賃版の2冊発行される
1969年5月号の新運賃版の表紙
1970年 昭和45年
- 3~8月、大阪で万国博開催
- ディスカバー・ジャパンキャンペーン開始
1970年 昭和45年
3月号~8月号まで万国博の写真が表紙を飾る
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1970年 昭和45年
3月号~8月号まで万国博の写真が表紙を飾る
3月~9月まで大阪で開催された日本万国博。春の季節列車だけでなく、全国から関西へ向かう臨時列車が増発されました。時刻表でも万国博への旅が特集され、旅費の目安(1泊で観覧する場合は約1万7千円と記載)やモデルプラン、各展示館の所要時間、周辺観光地などを案内していました。
1970年3月号の表紙(ジェットコースター)
5月号の表紙(動く歩道と太陽の塔)
万国博のガイド特集
1972年 昭和47年
- 山陽新幹線新 大阪~岡山間が開業
- 在来線の昼行特急に「L特急」つばめ・ひばり・ときなど9種の愛称がつく
1972年 昭和47年
「ひかりは西へ」優等列車の全盛期へ
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1972年 昭和47年
「ひかりは西へ」優等列車の全盛期へ
3月に新幹線の新大阪~岡山間が開業し、「ひかり号」の岡山までの直通運転が開始し、「ひかりは西へ」がキャッチコピーとなりました。在来線主要幹線の特急列車の増強と地区単位の快速列車網が増強された「よんななさん」と呼ばれる全国的な白紙ダイヤ改正号で、この号からは特急時刻の右側に太線が引かれ、特急が目立つように。ディスカバー・ジャパンキャンペーン以降、アンノン族がこぞって旅した萩・倉敷・高山などの小京都へのアクセスも向上しました。
1972年3月号の表紙
ひかりの岡山延伸により近くなった萩や城崎、鳴門
特急の本数が大幅に増えた
1975年 昭和50年
室蘭本線で国鉄最後のSL旅客運行
1978年 昭和53年
- 「ごうさんとう」ダイヤ改正
- イラスト入りの幕式ヘッドマークが登場
- 下り奇数・上り偶数に統一
1978年 昭和53年
“上野駅の女の子”と“幻のあずさ2号”
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1978年 昭和53年
“上野駅の女の子”と“幻のあずさ2号”
各地の特急が新設・増発された「ごうさんとう」と呼ばれる10月改正号では、愛称名の号数が上りが偶数・下りが奇数へと統一。そのため、前年にヒットしたフォークデュオ・狩人の歌に登場した「あずさ2号」は、信濃路へ向かう8時ちょうどの新宿発ではなく、甲府始発の上り列車になってしまいました。
10月号の表紙は後に名表紙と言われる“上野駅の女の子”。カメラマンが一瞬を捉えた写真だったためその場で許可を取れず、その後何度か時刻表上で名乗り上げてもらいたいと呼びかけるも叶わず今に至ります。この号から国鉄民営化まで、時刻表の表紙は人物入りの写真が続き、フルムーン夫婦グリーンパスの広告で夫婦役をつとめた上原謙と高峰三枝子が飾ることもありました。
10月号の表紙は後に名表紙と言われる“上野駅の女の子”。カメラマンが一瞬を捉えた写真だったためその場で許可を取れず、その後何度か時刻表上で名乗り上げてもらいたいと呼びかけるも叶わず今に至ります。この号から国鉄民営化まで、時刻表の表紙は人物入りの写真が続き、フルムーン夫婦グリーンパスの広告で夫婦役をつとめた上原謙と高峰三枝子が飾ることもありました。
1978年10月号の表紙
8時ちょうど新宿発は「あずさ3号」に
1981年 昭和56年
フルムーンパス発売
1982年 昭和57年
青春のびのびきっぷ発売
東北新幹線大宮~盛岡間、上越新幹線大宮~新潟間が開業
東北新幹線大宮~盛岡間、上越新幹線大宮~新潟間が開業
1982年11月号の表紙は上越新幹線
1986年 昭和61年
11月号の国鉄最後のダイヤ改正号が約200万部発行
1987年 昭和62年
4月、国鉄が7社に分社・民営化
1987年 昭和62年
4月号より「交通公社の時刻表」に改題
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1987年 昭和62年
国鉄民営化により「交通公社の時刻表」に
1987年4月、国鉄は6つの旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社に分割・民営化されました。JRが自社で時刻表を制作することになり、4月号のタイトルから「国鉄監修」が消え、「交通公社の時刻表」へと改題しました。内容も次々と一新していきます。JRのキャンペーン地域にとらわれず、「列島見ごろ旅ごろ 日本100選シリーズ」や「駅弁再見」といった連載を開始したほか、6月号では日本発着国際線のダイヤの掲載、7月号では長距離バスの一括掲載など旅行会社らしい特徴を打ち出していきました。
1987年4月号の表紙
巻頭で始まった連載「列島見ごろ旅ごろ 日本100選シリーズ」
1988年 昭和63年
- 海峡線開業に伴い、青函連絡船が終航
- 瀬戸大橋線開業
1988年3月号の表紙は海峡線が開業し、青函トンネルを抜けるED79と50系客車
1988年 昭和63年
11月号より「JTB時刻表」に改題
1991年 平成3年
東北・上越新幹線 上野駅が開業
1992年 平成4年
東海道新幹線「のぞみ」運転開始
1992年3月号は新幹線300系のぞみ号が表紙
1997年 平成9年
北陸新幹線の東京~長野間が長野新幹線として開業
1998年 平成10年
- 長野冬季オリンピック・パラリンピック開催
- 新型電車寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」運転開始
1999年 平成11年
上野~札幌間に寝台特急「カシオペア」登場
2009年 平成21年
999号の表紙を松本零士氏描き下ろしによる「銀河鉄道999」、1000号記念の表紙を水戸岡鋭治氏のイラストが飾る
通巻999号の2009年4月号と、通巻1000号の2009年5月号
2011年 平成23年
- 九州新幹線 博多〜鹿児島中央間が開業
- 東日本大震災が発生
2011年2月号は九州新幹線、3月号は東北新幹線でデビューしたはやぶさが表紙
2017年 平成29年
50年振りに索引地図をリニューアル
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2017年 平成29年
時代にあわせて索引地図を大幅リニューアル
地図の見やすさや情報量増強のため、半世紀ぶりに索引地図を大幅にリニューアル。私鉄・路面電車の全駅掲載、文字の識別がしやすいユニバーサルデザイン書体への変更のほか、「周遊券」時代の名残だった「周遊おすすめ地」を「おもな観光地」として整理し、より旅の計画に役立つ内容に刷新しました。さらに、特急運転系統図も、昨今増えている私鉄有料特急を追加し、情報と検索性を充実させました。
2017年11月号の表紙
私鉄の全駅名が表示され、観光地の位置関係がわかりやすくなった索引地図
2020年 令和2年
新型コロナウイルス感染拡大により不要不急の外出自粛要請が出る
2021年 令和3年
東京オリンピック開催
2025年 令和7年
「汽車時間表」から100年を迎える
お問い合わせ先
株式会社JTBパブリッシング ブランド戦略室
Email:pr-team@rurubu.ne.jp
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