1957年(昭和32年)2月号から連載を開始した松本清張の『点と線』。のちに100万部を超えるベストセラーとなる、言わずと知れた「社会派ミステリー」の金字塔である。
遡ること3年、当時の編集者・岡田喜秋は他誌に掲載されていた松本清張のひとり旅の記事に感銘を受け、紀行文やエッセイを依頼するようになる。『九州のかくれた旅宿から』(1954年12月号)、『ひとり旅』(1955年4月号)、『高原と温泉の九州旅行』(1956年3月号)と立て続けに掲載されたそれらは、ひとり旅の叙情のなかに旅先での人間模様も描かれ、小説のスタイルに近いと編集部内でも評されるようになっていた。『時刻表と絵葉書と』(1956年9月号)を読んで、松本清張が「駅名」と「時刻表」に趣味以上の興味を抱いていると感じた岡田は、この2つをテーマにした小説を依頼した。前年に国鉄が周遊券を発売したこともあって、ストーリーが全国に展開する連載小説を期待したのだ。
松本清張の入念な下調べと取材には、全国に通じる鉄道電話までも備えた“交通公社の編集部”の力も大きかった。「東京駅の横須賀線ホーム(13番線)から、『あさかぜ』に乗り込む男女(15番線)を目撃する」という設定を聞いた岡田は、ダイヤが過密な夕方の東京駅において2つ先のホームを見通すことは難しいのでないかと、ホームのアナウンス室に確認したという。すると1956年(昭和31年)11月のダイヤ改正によって出現した17時57分から18時1分までの4分間であれば、奇跡的に見通せることがわかった。岡田から連絡を受けた松本清張は、これを物語の大きなポイントとした。トリックの肝となる“空白の4分”はこうした二人三脚で生まれたのだ。締切から逃げる松本清張と、全国の交通網へ手配をまわす編集部との攻防秘話は、後のコラムに続く。