『旅』でたどる日本の旅行史
世の中の流れ
『旅』の変遷
1924 大正13年
『旅』が日本旅行文化協会から創刊
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1924 大正13年
『旅』が日本旅行文化協会
から創刊
から創刊
関東大震災の翌年の1924年(大正13年)、日本旅行文化会、国民旅行会、関西の旅行登山団体などが統合して「日本旅行協会」が設立されます。旅行趣味の普及と育成、旅行文化の昂揚を目的とした当会の機関誌として発行されたのが、この創刊号でした。
巻頭には、発行人である日本画家・三好善一と親しかった文人・田山花袋が「旅の詩と歌と」を寄稿しています。
創刊号の表紙は美術学校彫刻家出身の林良三による装丁で、その後も美代司斗南(三好善一)や吉邨二郎らが手掛けました。
巻頭には、発行人である日本画家・三好善一と親しかった文人・田山花袋が「旅の詩と歌と」を寄稿しています。
創刊号の表紙は美術学校彫刻家出身の林良三による装丁で、その後も美代司斗南(三好善一)や吉邨二郎らが手掛けました。
創刊号の表紙。当時の発行元は日本旅行文化協会
1930年8月号表紙
美代司斗南
「煙火を見る女」
美代司斗南
「煙火を見る女」
1932年2月号表紙
林良三「郷土玩具」
林良三「郷土玩具」
1934年5月号表紙
吉邨二郎
「カフェ・トラヴェル」
吉邨二郎
「カフェ・トラヴェル」
1926 大正15年
日本旅行文化協会は日本旅行協会に改称
1929 昭和4年
世界恐慌が始まる
1934 昭和9年
日本旅行協会がジャパン・ツーリスト・
ビューローに吸収され、日本旅行倶楽部
の機関誌となる
ビューローに吸収され、日本旅行倶楽部
の機関誌となる
1934年5月号
1939 昭和14年
第二次世界大戦が始まる
1941 昭和16年
太平洋戦争が始まる
1943 昭和18年
日本旅行倶楽部の事業休止に伴い終刊
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1943 昭和18年
日本旅行倶楽部の
事業休止に伴い終刊
事業休止に伴い終刊
1939年頃から雑誌の廃刊や検閲強化、用紙統制などが行われ、出版業界は苦境を迎えます。
1934年以降の『旅』は鉄道省の傘下にあり、真珠湾攻撃から間もない1942年の3月号では鉄道省運輸局旅客課長による「鉄道は兵器だ」という記事が目を引きます。
鉄道の輸送力をはじめとした軍事優先、「不要不急の旅をする者は非国民」という気運のなか、1943年5月号からは『旅』の表紙に「旅行指導雑誌」の表記が入るようになります。
出版統制による用紙配給打ち切りにより、8月号をもって終刊(休刊)となりました。(この当時、ジャパン・ツーリスト・ビューローは東亜交通公社に改称)
1934年以降の『旅』は鉄道省の傘下にあり、真珠湾攻撃から間もない1942年の3月号では鉄道省運輸局旅客課長による「鉄道は兵器だ」という記事が目を引きます。
鉄道の輸送力をはじめとした軍事優先、「不要不急の旅をする者は非国民」という気運のなか、1943年5月号からは『旅』の表紙に「旅行指導雑誌」の表記が入るようになります。
出版統制による用紙配給打ち切りにより、8月号をもって終刊(休刊)となりました。(この当時、ジャパン・ツーリスト・ビューローは東亜交通公社に改称)
1943年8月号(終刊号)の表紙。表紙に「旅行指導雑誌」の文字が入っている
1942年3月号目次
「鉄道は兵器だ」というタイトルも
「鉄道は兵器だ」というタイトルも
1942年3月号表紙
1945 昭和20年
8月、第二次世界大戦終戦
1946 昭和21年
終戦翌秋、日本交通公社より『旅』復刊
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1946 昭和21年
終戦翌秋、日本交通公社より
『旅』復刊
『旅』復刊
終戦の翌1946年11月号、3年の休刊期間をおいて、財団法人日本交通公社(戦後改称)から『旅』が復刊しました。
粗悪なザラ紙でわずか48ページの冊子ではありましたが、扉ページの「再刊の言葉」では「単に旅行愛好家のみの趣味の雑誌としてでなく新日本の国民必読の雑誌でもある。従って機関誌として使命を果たすのみでなく、広く発売することにしたのである。…観光日本の建設に貢献し、国民の文化生活に寄与することを確く信じている。」と戦後の著しい復興と旅行ブームを予感させるような、明るく力強い言葉が掲げられていました。
粗悪なザラ紙でわずか48ページの冊子ではありましたが、扉ページの「再刊の言葉」では「単に旅行愛好家のみの趣味の雑誌としてでなく新日本の国民必読の雑誌でもある。従って機関誌として使命を果たすのみでなく、広く発売することにしたのである。…観光日本の建設に貢献し、国民の文化生活に寄与することを確く信じている。」と戦後の著しい復興と旅行ブームを予感させるような、明るく力強い言葉が掲げられていました。
創刊号の表紙。当時の発行元は日本旅行文化協会
1951 昭和26年
日航の国内定期航空路が再開
1953 昭和28年
奄美大島が日本に復帰
1955 昭和30年
国鉄の周遊割引乗車券(周遊券)制度開始
1955 昭和30年
戦後の旅行ブームにより毎号特集スタイルへ
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1955 昭和30年
戦後の旅行ブームにより
毎号特集スタイルへ
毎号特集スタイルへ
交通機関や観光地の復興が著しく進み、戦後の旅行ブームを迎えます。
1949年には東京-大阪間に特急「平和」が運転を開始し、列車食堂も再開。
1951年には国内空路が復活、羽田は国際空港となりジェット機が初飛来するように。
これら観光事情の目覚ましい発展と旅行ブームに即応し、1955年から毎号実用的な特集を組むスタイルへと変わりました。
「スキー」「温泉」「国立公園」「夏山」「周遊券旅行」などの特集が頻繁に組まれるようになったほか、「日本の100の温泉」「新春旅行100プラン」「100の高原」といった情報量の多い特集も好まれました。
1949年には東京-大阪間に特急「平和」が運転を開始し、列車食堂も再開。
1951年には国内空路が復活、羽田は国際空港となりジェット機が初飛来するように。
これら観光事情の目覚ましい発展と旅行ブームに即応し、1955年から毎号実用的な特集を組むスタイルへと変わりました。
「スキー」「温泉」「国立公園」「夏山」「周遊券旅行」などの特集が頻繁に組まれるようになったほか、「日本の100の温泉」「新春旅行100プラン」「100の高原」といった情報量の多い特集も好まれました。
1955年1月号「楽しいスキーの旅 お正月の家族旅行」特集の表紙
1956年4月号
「全国国立公園案内号」特集の表紙
「全国国立公園案内号」特集の表紙
1956年11月号
「日本の100の温泉」特集の表紙
「日本の100の温泉」特集の表紙
1958年9月号
「周遊券旅行」特集の表紙
「周遊券旅行」特集の表紙
1956 昭和31年
「もはや戦後ではない」が流行語に
東京−博多を結ぶ寝台特急「あさかぜ」運行開始
東京−博多を結ぶ寝台特急「あさかぜ」運行開始
1956年11月号「日本の100の温泉」特集
1957 昭和32年
松本清張『点と線』の連載開始
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1957 昭和32年
松本清張『点と線』の
連載開始
連載開始
1956年に東京-博多を結ぶ寝台急行「あさかぜ」が運行を開始。
その急行列車をきっかけに、時刻表を駆使したトリックで、東京・博多・北海道…と日本列島を股にかけた不朽のトラベルミステリー『点と線』の連載が始まります。
それ以前にも『九州のかくれた宿から』『時刻表と絵葉書と』を寄稿しており、一般周遊券の発売や交通網の拡充で旅行の大衆化が進んだ時代に、時刻表を使って全国に展開されるような小説を依頼されたのでした。
後に100万部を超えるベストセラーとなり、映画化もされた『点と線』。
寝台特急あさかぜは1958年にブルートレインへと姿を変え、それに乗車するルポも1958年12月号で執筆しています。
その急行列車をきっかけに、時刻表を駆使したトリックで、東京・博多・北海道…と日本列島を股にかけた不朽のトラベルミステリー『点と線』の連載が始まります。
それ以前にも『九州のかくれた宿から』『時刻表と絵葉書と』を寄稿しており、一般周遊券の発売や交通網の拡充で旅行の大衆化が進んだ時代に、時刻表を使って全国に展開されるような小説を依頼されたのでした。
後に100万部を超えるベストセラーとなり、映画化もされた『点と線』。
寝台特急あさかぜは1958年にブルートレインへと姿を変え、それに乗車するルポも1958年12月号で執筆しています。
1957年2月号表紙 松本清張『点と線』連載第一回
1958年12月号「小説と映画の舞台」特集
ブルートレインになった「あさかぜ」に乗る清張
ブルートレインになった「あさかぜ」に乗る清張
1958 昭和33年
東京タワー完工
1959 昭和34年
国鉄が「ことぶき周遊券」発売。
宮崎への新婚旅行ブーム
宮崎への新婚旅行ブーム
1960 昭和35年
池田内閣の「所得倍増計画」
国内航空旅客100万人、国際旅客10万人を突破
国内航空旅客100万人、国際旅客10万人を突破
1960 昭和35年
紀行文学賞制定
1961 昭和36年
国民休暇村協会設立。
苗場国際スキー場開業などでスキー人口100万人、登山者200万人を突破
苗場国際スキー場開業などでスキー人口100万人、登山者200万人を突破
1964年10月号「新しい大東京」特集
1964 昭和39年
海外観光旅行の自由化
東海道新幹線開業・東京オリンピック開催(10月)
東海道新幹線開業・東京オリンピック開催(10月)
1964 昭和39年
一冊丸ごと、夢の「超特急」特集
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1964 昭和39年
一冊丸ごと、
夢の「超特急」特集
夢の「超特急」特集
1964年10月10日に東京オリンピック開催を控えた10月1日。
“時速160kmで走る超特急”という夢が現実に変わりました。
わずか5年という世界鉄道史上例を見ない短期間で実現した、東海道新幹線「ひかり号」のデビュー。
1964年11月号の乗車記事には、「乗客に若い人が多く、自分のような明治生まれの者が欧米の汽車に乗って驚いたのとは違い、現代っ子は世界一になった新幹線をわがもの顔で乗りまわすことができるのだと驚くとともに、新幹線はまさに二十一世紀の鉄道であり、日本の若者が世界に誇り得るものを持ったということ、それがいろいろな意味でこれからの日本にとって大切である。」と記されていました。
“時速160kmで走る超特急”という夢が現実に変わりました。
わずか5年という世界鉄道史上例を見ない短期間で実現した、東海道新幹線「ひかり号」のデビュー。
1964年11月号の乗車記事には、「乗客に若い人が多く、自分のような明治生まれの者が欧米の汽車に乗って驚いたのとは違い、現代っ子は世界一になった新幹線をわがもの顔で乗りまわすことができるのだと驚くとともに、新幹線はまさに二十一世紀の鉄道であり、日本の若者が世界に誇り得るものを持ったということ、それがいろいろな意味でこれからの日本にとって大切である。」と記されていました。
1964年11月号「超特急利用術」特集の表紙
1964年11月号
「超特急利用術」特集の目次
「超特急利用術」特集の目次
1965 昭和40年
名神高速道路が全線開通
1967年11月号「京都」特集
1968 昭和43年
小笠原諸島が日本に復帰
1969 昭和44年
東名高速が全線開通
米アポロ11号、人類初の月面着陸
米アポロ11号、人類初の月面着陸
1969 昭和44年
創刊500号到達、パイオニア旅行記賞制定
1970 昭和45年
大阪万国博覧会開催(3~9月)
国鉄「ディスカバー・ジャパン」
キャンペーン開始(10月)
国鉄「ディスカバー・ジャパン」
キャンペーン開始(10月)
1970 昭和45年
大阪万博、沖縄返還…
レジャーブーム到来!
レジャーブーム到来!
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1970 昭和45年
大阪万博、沖縄返還…
レジャーブーム到来!
レジャーブーム到来!
1960年代前半には国内航空旅客100万人、国際旅客10万人を突破。
国民休暇村協会設立や苗場国際スキー場開業などでスキー人口100万人、登山者200万人を突破し、ますます旅行ブームが加速します。
1964年の海外旅行自由化や東京オリンピックの影響で、海外渡航者も年々うなぎ上りに。
1970年代になると高速道路や高原のスカイラインなどの開通も相次ぎ、レンタカーや自家用車での旅行が台頭し始めるようになりました。
1970年の大阪万博、1972年の沖縄返還など大きな話題も続き、それら旅行マーケットをうまく取り込んだ特集号の刊行により、毎号いろとりどりの風景写真が表紙を飾りました。
国民休暇村協会設立や苗場国際スキー場開業などでスキー人口100万人、登山者200万人を突破し、ますます旅行ブームが加速します。
1964年の海外旅行自由化や東京オリンピックの影響で、海外渡航者も年々うなぎ上りに。
1970年代になると高速道路や高原のスカイラインなどの開通も相次ぎ、レンタカーや自家用車での旅行が台頭し始めるようになりました。
1970年の大阪万博、1972年の沖縄返還など大きな話題も続き、それら旅行マーケットをうまく取り込んだ特集号の刊行により、毎号いろとりどりの風景写真が表紙を飾りました。
1972年6月号「沖縄と薩南の島々」特集の表紙。5月に沖縄が日本に返還された
1970年4月号「万国博特集号」の表紙。
同年3~9月まで行われた大阪万博のガイド的1冊
同年3~9月まで行われた大阪万博のガイド的1冊
1970年11月号「実用特集 海外旅行」の表紙。
増加する海外旅行者のための実用情報が充実
増加する海外旅行者のための実用情報が充実
1971年7月号「現代宿泊百科」特集。
同年6月、世界一の高さを誇る京王プラザホテルが開業
同年6月、世界一の高さを誇る京王プラザホテルが開業
1970年11月号「実用特集・海外旅行」特集
1972 昭和47年
冬季オリンピック札幌大会開催(2月)
山陽新幹線が岡山まで開業(3月)
沖縄、日本へ返還(5月)
山陽新幹線が岡山まで開業(3月)
沖縄、日本へ返還(5月)
1972年4月号「この春の山陽・四国」特集
1973 昭和48年
羽田−沖縄間で初ジャンボ機が運航
オイルショック(73年末~74年初頭)
関門橋開通
オイルショック(73年末~74年初頭)
関門橋開通
1974 昭和49年
創刊50周年。紀行文学賞とパイオニア旅行記賞が統合され、日本旅行記賞制定
1975 昭和50年
沖縄海洋博覧会開催(7月)
国鉄最後のSL旅客列車が運行(室蘭−岩見沢)
国鉄最後のSL旅客列車が運行(室蘭−岩見沢)
1977年3月号「創刊600号記念 蒸気機関車への挽歌」特集
1978 昭和53年
新東京国際空港(成田空港)開港
日中平和友好条約調印
日中平和友好条約調印
1978年8月号「世界鉄道の旅」特集
1979年9月号「中国旅行」特集
1981 昭和56年
国鉄「フルムーン夫婦グリーンパス」発売開始
1982 昭和57年
東北新幹線・上越新幹線開通
中央自動車道全通
中央自動車道全通
1985 昭和60年
つくば万博開催(3~9月)
大鳴門峡・関越自動車道開通
大鳴門峡・関越自動車道開通
1987 昭和62年
国鉄分割、民営化し「JR」へ
1987 昭和62年
バブルに不況…
それでもブレない『旅』の遊び心
それでもブレない『旅』の遊び心
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1987 昭和62年
バブルに不況…
それでもブレない
『旅』の遊び心
それでもブレない
『旅』の遊び心
1980年代以降も根強く読者人気が高かったのは鉄道、ひとり旅、歴史(昔の街並みや城など)、温泉などの特集テーマでした。
さらには「1万円旅行」というゲーム性のある旅のテーマは夏休みなどの長期休みシーズンの人気企画に。
「バス旅」や「廃線跡歩き」といった新たな旅の楽しみ方をあらゆる角度から毎月深堀りしていました。
有名カメラマンや作家が切り取る風景描写、意外な組み合わせを楽しむ旅の対談、路上観察学会によるちょっと変わった街歩きの視点など、『旅』ならではの人選や組み合わせ、企画を意識した記事も毎号読者を惹きつけました。
さらには「1万円旅行」というゲーム性のある旅のテーマは夏休みなどの長期休みシーズンの人気企画に。
「バス旅」や「廃線跡歩き」といった新たな旅の楽しみ方をあらゆる角度から毎月深堀りしていました。
有名カメラマンや作家が切り取る風景描写、意外な組み合わせを楽しむ旅の対談、路上観察学会によるちょっと変わった街歩きの視点など、『旅』ならではの人選や組み合わせ、企画を意識した記事も毎号読者を惹きつけました。
1986年4月号「1万円大旅行」特集の表紙
1989年5月号「今、バス旅がおもしろい!」の表紙
1989年9月号「創刊750号記念 いま日本の秘境100」の表紙
1999年4月号「鉄道廃線跡を歩こう」の表紙
1988 昭和63年
青函トンネルが開通し、青函連絡船が終航
瀬戸大橋開通
瀬戸大橋開通
1988年3月号「鉄道新時代」特集
1992 平成4年
山形新幹線開業
1992 平成4年
JTB旅行文化賞を設立
1993 平成5年
姫路城、法隆寺地域仏教建築物、屋久島、
白神山地の4件が世界遺産登録
白神山地の4件が世界遺産登録
1993年9月号「自由気ままにひとり旅」特集
1994 平成6年
関西国際空港開港
1995 平成7年
阪神淡路大震災発生
1997 平成9年
秋田新幹線・長野新幹線開業
1998 平成10年
長野オリンピック開催(2月)
1998 平成10年
JTBの倉庫で『点と線』の生原稿が発見される
2000年9月号「宮脇俊三の世界」特集
2002 平成14年
1月号で、創刊900号に到達
2004 平成16年
79年の旅の終着、JTBでの発行を休刊
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2004 平成16年
79年の旅の終着、
JTBからの発行を終了
JTBからの発行を終了
2004年1月号(通巻924号)をもって、JTBからの発行を終了。
最終号を79年の旅路の終着駅とし、終着駅のグラビアや、終着駅からの紀行のほか、最長寿連載である小島功のマンガ「女中さん美人ネ」の傑作選も掲載されました。
最終号を79年の旅路の終着駅とし、終着駅のグラビアや、終着駅からの紀行のほか、最長寿連載である小島功のマンガ「女中さん美人ネ」の傑作選も掲載されました。
2004年1月号「終着駅から始まる旅」特集の表紙
新潮社から新生『旅』創刊
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2004 平成16年
新潮社から
新生『旅』創刊!
新生『旅』創刊!
2004年5月号から新潮社にて『旅』が引継ぎ刊行されました。
判型はA4となり、女性に向けた旅の雑誌へと生まれ変わり、海外特集も多く組まれました。
判型はA4となり、女性に向けた旅の雑誌へと生まれ変わり、海外特集も多く組まれました。
2011年11月号「わたしを元気にする63の旅」©新潮社
2012 平成24年
『旅』通巻1002号をもって休刊